10年に一度!ブサキ寺院の大祭

バリ・ヒンドゥーの総本山である「ブサキ寺院」。ジェロマデがウク暦の10年に一度しか行われないこの大きなお祭りに参加してきました。

こんにちは、ジェロマデです。ブサキ寺院で10年(210日間を1年とするウク暦の10年)に一度だけの『PANCA WALI KRAMA』という大きなお祭りが執り行われました。パンチャ・ワリ・クラマというのは、世界中の人々がそれぞれお互いの違いを認め合い、平和で幸福な地球をみんなで取り戻しましょう、そんな意味のお祭りなのだそうです。バリ島では常にお祭りが行われています。西暦換算で年間55回程度、小さいものなら毎月最低4回。なかでも、このブサキ寺院のお祭りは、かなり特別なようでお祭りの期間からしても、通常は3日から長くて1週間くらいなのに、このお祭りは3月中旬からはじまり4月末までと約1ヶ月の長期間にわたるのです。
ここで少しだけブサキ寺院についてご紹介しておきましょう。
ブサキ寺院は標高3142mのアグン山にあるバリヒンズー教の総本山で、日本の富士山と同じように霊峰と呼ばれています。8世紀には仏教の修行の場であったといわれ、16世紀のゲルゲル王国時代に王家の寺院として使用されるようになり、以後、急激に繁栄を極めました。1917年のバリ島南部大地震の影響により呪術、宗教儀礼が活発となったため、当時のオランダ植民地政府はバリ文化の保護者としての立場を内外に示すために、ブサキ寺院を文化復興のシンボル的存在と位置づけ、その復興を重視しました。同じ頃旧王族を中心にブサキ寺院の儀礼体系を再構築したこともあり、ブサキ寺院は総本山的地位を占めるようになりました。1979年にはスハルト大統領ら閣僚が列席し、ブサキ寺院とヒンドゥー教徒に対する国家の保証を象徴する儀式が執り行われ、内外のメディアで「100年に一度の儀式」として大きく報道されたことから、観光熱を高めることにもなりました。

ブサキ寺院という寺院はなく、ヒンズー教の3大神を祭る寺院をはじめ、大小30余りの寺院の総称です。初詣には毎年、明治神宮へお参りに行くけれど、明治神宮の歴史などほとんど知らない・・・という人は多いのではないかと思いますが、バリ人も信仰心は強くても、ブサキ寺院とは?と聞かれて、8世紀に・・・などと語れる人は極少数。ただそこにお寺があるから、そこに神様がいるから、お祭りがあるからお参りに行く、ただそれだけなのです。既に10年前にも1度、経験済みのジェロマデですが、再び大祭に巡りあえて、真のバリ人パワー炸裂の現場に直面し、改めて深い感慨と大きな感動に浸ることになりました。

この大祭期間中のバリ人の話題といえば、もうお参りへ行ったか、いつお参りへ行くかです。1度のみならず時間と状況が許す限り何度でもお参りへ行っていいのですが、1人で気軽に歩いて行けるような場所ではありません。そのため、家族や友人同士のグループなど、それぞれ集って車で行かなければならないので、みんなの予定を調整しなくてはなりません。会社や学校単位で大きな観光バスを貸し切って何台も連なってお参りへ行ったりもします。学校の先生達が集ってお参りへ行く日は、学校が臨時休校になります。

ジェロマデも2度お参りに行きましたが、はじめは家族と大祭期間中旬の月曜日の夕方に行きました。土日は非常に混雑し、道も渋滞しているだろうと予想し、月曜日を選んだのは大正解で、行きは団体のバスが帰る時間帯で対向車線は渋滞していましたがスムーズにお寺に到着。お寺もたくさんの参拝者でしたが混雑しているというほどでもなく、順番に清らかな気持ちで参拝することができました。みんながもの凄い渋滞だとかあれこれ言うけれど、大祭とはいえ1ヶ月もやっているのだから、そんなにいつも混雑している訳ではない。内心そう思い、安心しました。そこで、ブサキ寺院といつも同時期に行われるバトゥール湖の守護神を祀るウルン・ダヌ・バトゥール寺院へお参りに行き、その後、再びブサキ寺院へ行くことにしたのです。
時間が取れたのは大祭期間が終わる最後の土曜日でした。午後に出発し、まずはバトゥール寺院へ。道の渋滞はありませんでしたが、お寺へ到着すると駐車スペースが満杯でお祭りの雰囲気をかもし出しています。
道の脇で物を売る人もたくさん出ていて賑やかです。ここぞとばかりに色んな物売りが集合しています。
この地域で有名なキンタマーニ種の子犬も・・・籠の中に3匹くらい入っています。お寺までの小道を大勢の人が歩いています。
お寺の入り口、割れ門が見えてきました。

この狭き門、ここを通らなくてはお寺へは入れません。ジェロマデはバリに住み着いた当初、お祭りに行くのが嫌いでした。何故なら大勢の人が押し合いへし合いし、誰も譲り合いの精神など持ち合わせず、人を押しのけ我先にと割れ門を進む、そんなバリ人の参拝の姿に抵抗と反発を感じ、神様に祈りに行くのに、わざわざ嫌な思いをしなくてはいけないなら家からでもお祈りはできる、そんなふうに思っていました。いよいよ近づいてきました。

左のおばさんたちは走り出しました!

左のおばさんたちは走り出しました!

こんな所にサンゴル(女性が正装時に頭に付ける髷のようなヘアーピース)が・・・余りの大混雑でとれてしまったのでしょうか・・・その女性は取れたままの頭で、気付かずにお祈りをしたのでしょうか・・・。

こんな所にサンゴル(女性が正装時に頭に付ける髷のようなヘアーピース)が・・・余りの大混雑でとれてしまったのでしょうか・・・その女性は取れたままの頭で、気付かずにお祈りをしたのでしょうか・・・。

割れ門を通ってからも、お供えを置く場所の確保やお祈りする場所の確保に女性たちは突き進みます。お供えを置くために一列に並んでいると、後ろの女性がジェロマデの背中に手を当て、ググーッと押してきました。この時点で以前ならば腹わたがプツプツと音を立て始めていたでしょう。押された所で前には進めないのですから、「早く行きたいのならどうぞお先に」と、振り返ってそう言ってみます。すると「へ?いやぁねェ、さあ一緒に進みましょう!」と。ずうずうしいけれど、恥ずかしがり屋なのが田舎のバリ人女性の特徴です。お寺の敷地内も満杯になり、みんなで一斉にお祈りをしました。
何故でしょうか、お祈りを終えると不思議にその場にいた人々との境界線が消えて、みんながひとつになったような感覚が広がるのです。
入るときにはあんなに混雑していたのに、帰るときに割れ門を通るのはゆったりと落ち着いていました。
さぁ、次はブサキ寺院へ。
毎回、ブサキ寺院とバトゥール寺院のお祭りがほぼ同時期に行われるのと、地理的にも2つの寺院は近距離にあるので、多くの参拝者がこのバトゥール寺院を参拝した後、ブサキ寺院に参拝する、というのが一般の参拝コースになっています。ただ、このバトゥール寺院からブサキ寺院へは道も悪く、上り下りの傾斜も激しいため、慣れないドライバーにはかなり厳しいそう。というのを理由に、私たちのドライバーは一目散にウブドへと戻り、ウブドからブサキ寺院へと向かうことにしました。時間的にはバトゥールからブサキを目指せば約1時間半で到着できるでしょう。

しかし、ウブドへ戻りブサキへでは倍の3時間はかかります。この時点でウブドを出発したのが夜の7時を過ぎていました。すでに道路は渋滞が始まっていて、ただでさえ土曜日の夜はマラーム・ミングーと言って、若者や家族連れが街へ繰り出したりするので通常でも混雑します。しかし、この日は大祭期間中最後の土曜日、前後の車も、対向車もみんな白い正装を着た人たちが乗っています。ということはみんなブサキ寺院を目指すか、戻ってきた人たちということなのです。まるで、全てのバリ人が大移動しているのではないかと思えるような、普段では考えられない車の数です。しばらくはそのまま進んでいたのですが、1時間ほど行ったあたりでストップしてしまいました。まだまだアグン山の麓にさえたどり着いていません。こんな所からブサキ寺院までずーっと車が連なっているのだとしたら、もの凄いことです。それにしても対向車が全く来ません。止まっている車を追い抜いて何台ものバイクがすり抜けていきます。多くのバイクが後ろにおめかしをした女の子をのせています。夜のお寺へのお参りはバリ人の若いカップルにとっては絶好のデートなのです。

30分くらい止まっていたでしょうか、やっと対向車線の車が流れ始め、すれ違いざまのドライバーに何があったのか聞いてみると、ブキッ・ジャンブル(アグン山を目指す山道の途中にある景勝地)で大型バスが崖から転落してしまい、その処理のため通行止めになっていたと・・・!渋滞のお知らせを示す電光表示板や渋滞情報を教えてくれるラジオ放送などあるはずもなく、そんな大事故があっても知るすべもなく、ただ止まっている。それでも誰も途中で断念する様子もありません。ゆっくりと連なる車が動き出したものの、結局は途中で通行止めの表示が出ていて、警備をしている人が「ここから右へ曲がってください!』と言います。どんな事故があったのかは定かではないですが、通常のルートでは行けないことはわかりました。しかし、カーナビゲーションシステムを搭載している車がバリにあるはずもなく、地図さえない・・・。本能の嗅覚だけでハンドルを握るドライバーが一般的なこのバリで、知らない道を通ってはたしてたどり着けるのか定かではありません。
我々のドライバーは前の車について行けば良いと、そのまま右へ曲がりました。後方に連なる車も多くは同じように考えていたのは間違いないでしょう。誰もそんなルートは知らない様子でした。真っ暗な道路を一体何処を走っているのかさえわからぬまま、何台もの車が連なって走り、後方を見ると車のランプだけがずっとくねくねと長く光る尻尾のように続いています。みんなブサキ寺院を目指して…。2時間ほど迷走したでしょうか、ようやく通常に使用する道へ出ましたが、まだここ?というほどの遠回りだったと知るのでした。そこから約1時間、もうすぐ到着するというところでまた渋滞のストップです。そこからブサキ寺院まで4kmの渋滞だというのです。だいたい2車線の道路で渋滞して止まっているとわかっていながら対向車線に出て追い抜いてゆく車が続々と繋がって、結局、対向車さえ通れず、ますます渋滞に。ここでも我慢ができない浅はかなバリ人根性が丸出しに。我先にと、この状況下で急いだ所で何になるというのか・・・。
もう全く、動く気配さえなく、止まっていた大型バスの乗客は4kmの道のりを歩くべく、どんどんバスから降り始めました。ここまできたらもう、諦めの境地とでもいうのでしょうか、もう神様にお任せします!そんな気持ちにならざるを得ません。でも、もしかするとこれこそが神様が与えてくれた試験なのではないかとも思うのです、どんな状況にあっても動揺することなく心を静かに保つ…。途中で1台だけ引き返す車がありました。その車を横目に多くの人が心の中でテストをパスできなかった落第者というような視線を送っているようでした。エンジンを止め車を降りて道端で用を足す人、前方を確かめるべく歩いていく人、知らぬ者同士「4kmの渋滞だって!』などと声を掛け合いながら、誰もイライラして怒鳴ったりすることもなく、ただ動き出すのを待っている…もうすぐ神様にお参りできるという高揚に包まれ一体感を共有しながら。
                                     
ここで待つこと約1時間、ブサキ寺院の駐車場へたどり着いたものの、駐車の仕方ははちゃめちゃです。後先を考えないのか、ここまで来て思考が停止してしまったのか、車を公共のスペースに駐車したことがない人ばかりなのか、もう真夜中で誰もそんなことは気にする人はいないようで、とりあえず空いているスペースに車を置き去り、さっさとお参りへと急いで行ってしまったのでしょう。 お寺の敷地内に入ると夜中の12時を既に回っているというのに、やはりほとんどのバリ人がこの夜ブサキ寺院に集合していたのだと納得せざるを得ないような賑わいでした。芝生の上では夜中のピクニックのごとく、それぞれ輪になって座り、物を食べて歓談し、PURA PENATARAN AGUNG(プラ・プナタラン・アグン)という拝礼をする場所までの回廊や階段の脇には地面で寝ている人々でびっしり埋め尽くされ、階段にはこれからお参りをする人、お参りを終えた人が絶えず行き交い、いたるところ人・人・人の大混雑です。
お祈りのスペースもびっしり満員で、みんな一斉にお坊さんの祈祷で祈りを捧げるのですが、お祈りを終えた人が立ち上がるのと同時に待っていた人たちが押し寄せてきてきます。それが次から次へと延々と続くのです。お祈りをするため待っている時、ふと夜空を見上げると満点の星ぼしが輝いていました。その下で何百人という人が両手に花を捧げ持ち、高々と両手を掲げて、何万回もの祈りを神様に捧げている、まるで天界とこのブサキ寺院と祈る人々が全てひとつに繋がっているかのようでした。ここで行われていることの凄さを、そのパワーを直に感じてジェロマデは立ちすくみました。10年ぶりに巡ってきた総本山のお祭りに対するバリの人々の思い、それに挑む姿勢や意気込みはただならぬもので、たかが10数年バリに在住した者などには計り知れないものなのだと、思い知らされると共に、この小さな島から地球がひとつになるように世界へ向けて大きな祈りを捧げている・・・この醍醐味は参加し体験してこそ得られるものなのだと実感しました。長い渋滞や人々の押し合いへし合いも、ここにたどり着くために用意されていた完璧な道のりだったのです。
                  
ただ、非常に懸念されるのがゴミです。今のバリ人の生活は昔の暮らしを捨て、現代社会の流れに飲み込まれ、急速に変化しています。以前ならばお供え物は全て自然素材で作られ、それを燃やしても、川に流しても問題はなかったでしょう。しかし、現代ではお供えを包むのにスーパーのプラスチックバックが使用されています。寺院でもお供えのチャナンが売られていて、それもプラスチックバックに入っています。繰り返し祈りが続けられる中、1ヶ月間という長丁場ではゴミを清掃する暇さえないのもいたし方ないでしょう。寺院の地面にはそこかしこに供え終わったお供えの残骸がびっしりと敷き詰められたようになっていました。それに混ざって色とりどりのプラスチックバックが・・・。あれでは分別は至難の業でしょう。階段や回廊、お祈りを捧げる場所の地面が埋まるほどのゴミ、何万トンのゴミが日々祈りと共に排出されているのです。お供えを残してゆくのは良いとしても、それを入れていた入れ物をポイ捨てしてしまう意識の低さ。
渋滞を余計に引き起こしてしまう「我先に精神」や駐車場での車の置き方なども、きっと悪意でやっている人はいないと思います。ゴミを捨ててしまうのも、プラスチックバックが燃えないで残ってしまう地球には有害な物だと知らない人がほとんどで、便利な現代の物として使っているのに過ぎません。だからポィ捨てをしても、何ら彼らには悪気はないのです。バリ島でも、もちろんゴミ問題を真剣に考え始めている人も大勢います。しかしまだまだ知ること、知ろうとする意識を持たない人も多いのです。また巡ってくる10年後の大祭には、きっとゴミも渋滞もなくなっているだろう、ジェロマデは愛し尊敬するバリ人を信じ期待してやまないのでした。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2009-06-17

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