5&6月のバリ島 【2014年】

5~6月のバリ島はどうでしょう?

アパカバール?バリ島ナビです。
5月から6月にかけてのバリ島は、雨季と乾季の境目の季節に当たります。陽射しが強く暑い季節ではありますが、これから季節は確実に涼しい乾季に向かっていきます。
さて、バリ島の学校は5月が年度末。7月にやってくる新学期の前に、学校は6月からお休みに入ります。そしてこの時期、バリの人たちが楽しみにしているのが、毎年デンパサールにて開催されるバリ芸能の祭典「バリ・アートフェスティバル」。食べ物や飲み物、おもちゃや洋服などを売る屋台も賑やかなアートフェスティバル会場はちょっとしたお祭りの雰囲気。ガムランやダンスなどの演目だけでなく、絵画や伝統手工芸品の展示、バリらしいお供え物や料理のコンテストなど、豊富なイベントもいろいろ開催されますので、学校が年度末のこの季節、バリの人たちにとっては家族揃っての娯楽として楽しめるものになっています。けっして敷居の高いアートを追求するものではなくて、バリの庶民が楽しみにしているお祭り「バリ・アートフェスティバル」。今年も6月から7月にかけての約一ヶ月の間、デンパサールのアートセンターを中心に開催されます。
雨季も終わって、爽やかな乾季に向うこの季節。それでは5月から6月にかけてのバリ島、ご紹介していきましょう。

バリ島の気候と天気

【気温】
5月 最高33.1℃ 最低24.1℃ 
6月 最高31.4℃ 最低23.5℃ 

【降雨量】
5月 93mm 平均降雨日数8日
6月 53mm 平均降雨日数6日
雨季入りが早かった昨年のバリ島。さらに昨年は、乾季にも関わらず長雨になることが多かったので、なんだかずっと雨が降っていたような印象がありました。しかし今年は、雨季の終わりに近づくといいお天気の日が多くなり、今年は順調に雨季明けしてくれるのではないか、と期待してしまいます。

5月から6月にかけてのバリ島は、雨季が終わり、季節の境目を経て、段々と乾季に近づいていく季節。太陽が赤道に近づくということもあり、陽射しが強く、暑くなるのが特徴です。しかしこのあとにはオーストラリアから風が吹いてきて、空気はぐっと爽やかになってきます。

降雨日数もぐんと減ります。バリ島の雨季と乾季というのは、雨が降る、降らないということよりも、もっと大きな違いは、空気の質感。雨が多ければ空気は湿気を含んでねっとりとまとわりつくような暑さになります。それに対して乾季は、空気がからりとしているために雨が降ると肌寒ささえ感じます。この、空気の質感こそが、バリ島の雨季と乾季の違い。

5月から6月頃にかけては、日本とバリの気温差はあまり大きくありません。気温だけではなく、バリ島特有の重くまとわりつくような空気の質感も、比較的意識しないでいられるような過しやすさがこの季節の特徴。天候の急激な変化も少なく、降雨日数もぐっと減ります。日本から旅行でいらっしゃるにはおススメの季節と言えます。

強い日差しにだけはじゅうぶん気をつけて。楽しいバリ島滞在をなさってください。

バリの暦

■2014年 5-6月の満月: 5月13日、6月12日
■2014年 5-6月の新月:5月28日、6月27日

バリ11番目の月「サシ・ジエスタ」は5月28日まで。5月29日から6月27日まではバリ暦12番目の月「サシ・サドハ」となります。6月28日からは、バリ暦1番目の月「サシ・カサ」が始ります。

■5-6月のインドネシアの祝日
5月1日 レイバーデー (メーデー)
5月15日 ワイサック(仏教大祭)
5月27日 ムハマッド昇天祭
5月29日 キリスト昇天祭
6月28日からイスラム教のラマダン(断食月)が始ります。

■5-6月のバリ島の祝日
5月21日 ガルンガン
5月31日 クニンガン

■6月4日からタナロット寺院のオダランが始ります。

■6月10日からタマン・アユン寺院、ゴア・ラワ寺院のオダランが始ります。

いつもここでご紹介しているバリ島の暦(サカ暦)ですが、6月28日から「1番目の月」となるのに気がつかれたでしょうか。バリ島のサカ暦の新年というのは、ニュピに当たります。今年のニュピは3月31日。日本人の感覚で言えば、まさにこの新年ニュピから「1番目の月」になるような気がするのですが、そうではないところがバリの暦の面白い?ところ。サカ暦の新年は、毎年「10番目の月」に廻ってくることになります。
サカ暦は毎月新月(正確には月の出ない暗月)の翌日に月が変わる、月の満ち欠けを基準にした暦です。実はバリ島のお隣、ジャワ島にもこのサカ暦と同じような独特の暦があります。「プラナタマンサ」と呼ばれるこのジャワの暦。これもなんと6月に「1番目の月」が廻ってくるんです。ジャワ島のプラナタマンサも全部で12の月に分かれていますが、バリのように新月の翌日に月が変わるわけではありません。1番目、6番目、7番目の月は41日ですが、その他の月は23日から27日と、月によって長さが違っています。
この暦は、もともと農作業の手引きをはかるために編み出されたもののようです。つまりこの暦に従えば、天候の変化などが西暦よりも土地の風土に沿ったかたちでとらえやすいのでしょう。さらにジャワの暦プラナタマンサによれば、1年は乾季、乾季から雨季への移行期、雨季、雨季から乾季への移行期と、四つの季節によって構成されていて、どの月がそれに当たるかも明確にされています。
それによれば、プラナタマンサ1番目から3番目の月までは乾季、4番目から6番目の月までは乾季から雨季への移行期、7番目から9番目の月までは雨季、そして10番目から12番目の月までが雨季から乾季への移行期とされています。インドネシアのような熱帯の国は、「雨季」と「乾季」しかないと思いがちの我々ですが、日本のような「四季」とはちょっと違うものの、昔の人たちは季節をこんなふうに「よっつ」に分けてとらえていたのですね。
さて、バリ島のサカ暦。バリでも、昔の人たちはこのサカ暦に沿って農作業の手順を図っていたようです。稲の収穫に良いのは10番目の月(西暦ではだいたい3月頃)、11番目(同じく4月頃)と12番目の月(5月頃)は田植えの月、などのほかにも、花が咲く4番目の月(9月頃)、マンゴーが熟しておいしい5番目の月(10月頃)、雨が降り始める6番目の月(11月頃)、強風が吹く8番目の月(1月頃)、などなど、サカ暦に基づいた月の特徴は今でも人々の間に多く言い伝えられています。
バリ島のサカ暦とジャワ島のプラナタマンサ。いろいろなところで類似点が多いのできっとこれはもとはひとつのものだったのではないかと思われるのですが、いづれにせよ、6月は、どちらの暦でも「1番目の月」。サカ暦でもプラナタマンサでも、この月から「乾季」に入るとされています。
現代社会は否が応でも西暦で過すことを余儀なくされるのですが、日本にも「陰暦」というものがあります。短歌や俳句などを読めば、日本の春夏秋冬は、西暦ではなく古来からの陰暦の方がぴったりくることはよく理解できます。
農作業が生活の中心だった頃には、まさに暦は人々と共にある大事な手引きだったに違いありません。現代のバリ島の生活は、地域によっては「農作業が中心」と言うことはできませんが、それでもオダランなど、バリ人の生活に欠かせない宗教行事は、昔からの暦に従ってきちんと執り行なわれているのです。生活が変わっても、古くからの暦が今も生活の中に残っているバリ島です。

バリ島知っ得情報!

5月21日はガルンガンの祭日。
ガルンガンはバリのウク暦に従い210日ごとにやってくるバリ・ヒンドゥーの祭礼日。祭礼、と言っても特に華やかな催しがあるわけではありませんが、この日を迎える前に各家庭ではお供え物を準備し、当日はそのお供え物を持ってお寺へ詣でます。言ってみれば、バリ・ヒンドゥー教徒にとっては、忘れてはいけない重要な日です。
ガルンガンをはさんだ三日間は官公庁や学校はお休みとなります。ガルンガンの前には、バリ人の家の前にはペンジョールという、竹と椰子の葉で作った飾りが立てられます。道の両側にずらりと並ぶ椰子の葉の緑の鮮やかなペンジョールは、いかにもガルンガンを迎える風景。このガルンガンから10日後にはクニンガンがやってきますが、クニンガンの時にもガルンガンの時とまったく同じように、各家庭でお供え物を用意しお寺へ詣でます。ガルンガンからクニンガンまでの期間は、バリにはどことなく「お祭り」の浮き立つような雰囲気が漂います。
この雰囲気を作っているひとつの理由は、ガルンガンからクニンガンの間、町や村のあちらこちらを練り歩く子供達のバロンの行列。これは日本で言えば「獅子舞」のようなもので、縁起物。呼び止めて心づけをあげるとその場で演奏と踊りを披露してくれるんです。可愛い子供達のバロンダンス。中には、うーん、ダンスの技量としてはどうなんだろう、って首をかしげたくなるようなバロンの一行もあるんですが、それもまたご愛嬌。
さて、ガルンガンからクニンガンまでに、町や村を練り歩くこのバロン。考えてみればこの「バロン」ってなんなんでしょうか。
バロンは、バリ島独特の信仰の対象です。聖獣バロンと言われ、魔女ランダと共にバリ・ヒンドゥー独自の世界観を表すものとして認識されています。旅行者にとっては、バリ芸能の代表的な演目バロンダンスの中で目にすることがほとんどでしょう。ダンス、と言ってもこれはお芝居仕立てのストーリーのある演目で、死神の生贄にされた王子がシヴァ神の力で不老不死となりバロンに変身し、魔女ランダに変身した死神と闘いを繰りひろげる、というストーリー。両者の力が拮抗しけして勝敗がつかないという、バリ・ヒンドゥーの世界観を表したバロンとランダの戦いがこのお芝居仕立てのバロンダンスのクライマックスです。
さて、バロンダンスの中ではいかにも恐ろしげにおどろおどろしい魔女ランダと死闘を繰り広げるバロンなのですが、バリ島のバロンの起源は、実ははっきりとはわかっていません。
しかしこのバロン、日本にも獅子舞というものがありますが、それと本当によく似ています。日本の獅子舞は中国大陸から伝わったと言われていますが、このバロンについても、10世紀頃にチベット~インド方面からきた仏教の伝道師によって原型がバリに伝えられたという説があります。ジャワ島がイスラム化したあとバリ島に流れてきたジャワ・ヒンドゥーの王朝文化の最盛期、16世紀頃からはこのバロンが「厄払い」の意味を持ってくるようです。いづれにせよ、このバロン、日本の獅子舞と同じように、アジア各地に広く分布している中国文化発祥の流れを汲んだものと考えて間違いはないように思います。
バリ島のバロンは聖獣と言われることからもわかるように、バリの人たちにとっては神聖なものであるのと同時に、人間を守ってくれる頼りになる存在です。どこのお寺にもご神体としてのバロンを持っています。このバロンには霊力が宿るとされ、普段はお寺の祠の中に安置されていて、寺院祭礼や村の浄化儀礼の時などに祠から取り出され、村の中を練り歩きます。バロンの行列は、バロンが歩くことによって、それだけでその地が浄化される、という意味合いを持ちます。
この「バロンの行列」、バリの寺院祭礼の時などには目にすることもあるかと思いますが、ウブドから北に少しいったプアカン村というところでは、ガルンガンの翌日に、近隣の村からバロンが集まってきます。全部で20体以上のご神体バロンが、村人たちと共に行列をし、ひとつのお寺に集まってきます。バリ人が「バロンのミーティング」と呼ぶこの「バロンの集い」は、実に圧巻。バロン好きには必見、です。
これに対して、ガルンガンからクニンガンにかけて、街中を練り歩く子供たちのバロン。これは、お寺のご神体バロンとは異なり、特に霊力を持つものではありません。このバロンは、個人所蔵のもので、お寺のご神体バロンのように、霊力を込める儀式をしているわけではありません。だからとってこれらのバロンが「偽者」というわけではないのです。特別使いのバロンと、普段使いのバロン。こんなところからもむしろ、バリ人の「バロン好き」が伺えるような気がしませんか?
アジア各地に伝わる獅子舞の流れを汲んだ(と思われる)バリ島のバロン。よく目にするものはライオンのような姿のものが多いのですが、けしてそれだけではありません。バリ島で発展したバロンには、獅子の姿をするもののほかにも、いろいろな獣の姿をするものがあります。虎や猪、鹿や象、ほかにもこれらの動物の「混ざった」かたちのものなど。ガルンガンからクニンガンにかけての子供達のバロンの行列では、比較的こんなバラエティーに富んだいろいろな動物の姿のバロンも目にすることも多いんです。
獅子舞が家々を廻っていた日本のお正月風景は、もう今では昔のことになってしまいましたが、バリではまだまだ、人々の身近なところにバロンの存在があります。頭の部分に入った人がかたかたと歯を鳴らして踊るバロンの舞いを見ていると、これはまさに日本に伝わる獅子舞と同じ。バリと日本。遠く離れていてもやはり同じアジアなんだなあ、としみじみ思ってしまう、そんなバリ島のバロン。日本人としてもかなりの親近感を感じるものと思います。
今月はバリ島の「バロン」についてご紹介しました。それではまた、「7-8月のバリ島」でお目にかかりましょう。サンパイ・ジュンパ~!!

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2014-04-30

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