ニュピ~サカ暦の新年~

月の満ち欠けを基準とする、サカ暦の元旦ニュピ。「静寂」を意味するこの日は一年のうち最も暗い夜、そして最も星が美しい夜です。

こんにちは、プスパです。前回のガルンガンが終ったと思ったら、引き続いて「ニュピ」という、バリ島、サカ暦の新年の日が近づいてきました。ニュピ、というのはインドネシア語のスピー、つまり完全なる静寂、を意味します。このバリ島の祝日は、インドネシアの国民の休日ともなっており、この日、バリ島に居る全ての人は、あらゆる活動の停止を義務づけられます。バリ島にある、国際空港も、飛行機の発着は禁止されます。飛行機を止めちゃうなんて、すごいですよね!
ニュピは、サカ暦の第十月の朔日(ついたち)、つまり10番目の新月の前の日にあたり、月のまったく見えない日で、だいたい毎年、西暦の3月にめぐってきます。ニュピの前日には、この地上の悪霊どもを、根こそぎ追い祓い、清める行事があり、少し日本の「節分」に似ています。ニュピは、「春分」の日でもあるのです。
ニュピの前夜には毎年、「オゴホゴ」という、悪霊・鬼をかたどった巨大なハリボテ人形を担ぎ上げて村々の四辻で引き回す、この時期のバリ島の観光の目玉ともなるべき行事があるのですが、今年は4月に、5年に一回の総選挙が行われるために、治安上の理由から、オゴホゴの開催は中止となりました。それほど、この「オゴホゴ」に、若者達は熱中、興奮するのです。

それでは、ニュピに関連するいくつかの行事、ご神体を海へ清めに行く「ムラスティ、ムキエス」、ニュピ前日の「タウール・クサンゴ、プングルップカン」の行事をご紹介いたしましょう!

「MELASTHIムラスティ、MEKIYISムキエス」と呼ばれる行事、ガイドブックや写真集で、あるいはバリ島滞在中に、目にしたことのある方も多いと思います。そう、あの、大型トラックに、ご神体や正装した人々やガムラン隊がすし詰めになって、何台も何台も海へ向かって隊列を組んで行く、あの光景のことです。この儀式はニュピの前や、村の寺院の大祭の前に、ご神体を清めに海や湖、川へ向かう儀式のことで、ムラスティは、穢れを清める、という意味で、ムキエスとは、全てのものが完璧に清められたことを意味します。プスパの住む村では、海に行く時は、ギャニアール県のパンタイ・プルナマ(満月ビーチ)というところに行き、一年交代でウブドのチャンプアンにある、ウォス川にも行きます。ここには、清浄な湧水もあるそうです。川は海に繋がっている、という観点からか、不浄なものは流れのある川、最終的に海で清めるのです。そのせいかどうか、バリ人はゴミや動物の死骸などをなんでもかんでも川に投げ捨てる習慣があり、今では深刻なゴミ問題となっていて、最近では様々な対策、啓蒙が行われるようになってきました。
このムラスティは、通常、ニュピの2日前か3日前に行われ、バンジャールによってどこに行くか、また時間帯はまちまちです。プスパの住む村は、今年のムラスティは、チャンプアンでした。以前、オダランの記事でご紹介した、グヌン・ルバ寺院のある所です。

海に行く時は、早朝にトラックなどに分乗して出発し、正午頃までに儀式を終えて村に戻ってきます。今回、チャンプアン川へのムラスティは、夕方からの出発でした。夕方、4時過ぎに、ムラスティが始まる合図の、クルクルという村の半鐘が響き渡ります。これを聞いて、村人は急いで沐浴して正装し、ご神体のある村のお寺、プラ・ダラムへと向かいます。チャンプアンは近いので、徒歩でご神体をお送りするのです。
プスパは、この日、「ご不浄の日」だったので、お寺に入ることは出来ず、もっぱら行列の様子を写真に撮りまくろうと思い、撮影にいい場所に先回りして、行列が来るのを今か今かと待ち構えていました。夕方4時にクルクルが鳴り、ようやくお寺を出発したのが、あたりもすっかり暗くなった6時半頃・・・。暗くて、ほとんど写真が撮れませんでした(涙)。
ともかくも、大人数のおおがかりな行列で、ウブドのメインロードに差し掛かったときは、道行く車やバイクなどを止めての渋滞を引き起こします。村には必ず「プチャラン」という、行事を安全に遂行するために配置される警備員のような役割の男性が多数居て、手際よく交通整理を行い、行列を安全に目的地へと誘導します。
こうして、ご神体はグヌン・ルバ寺院の奥境内に向かい、そこで清めの儀式が行われます。付き従った人々は、思い思いの場所で儀式の終了を待ちます。
儀式の終了後、お祈りをして、一行はまた村のお寺へと歩いて戻ります。このときはプラ・ダラムではなく、プラ・デサへと向かい、ご神体はニュピ前日までプラ・デサに安置されます。人々は一度家に戻り、それからまた、夜もかなり遅い時間ですが、バンタン・プラニというお供え物を持って、プラ・デサに参ります。

バンタン・プラニとはご飯、そして池、海、湖、田んぼ、森に棲息する生き物から作られるいろいろなおかず、野菜類、イモ類、穀物から成るお供え物で、つまりこの大自然の全ての恵みが使われています。なぜなら人間は、この大自然の恵みを食べ、飲み、そのお陰で生きている訳で、その恩恵に対する感謝の念を忘れないため、このお供え物は、バリ・ヒンドゥー教徒にとって、罪の無いよりよい人生を送れるよう、その願いと努力を神の前に約束する機会なのです。

さて、ニュピの前日は、ハリ・プングルップカンです。この日は、村の四辻(十字路)でタウール・クサンゴという儀式が行われます。この儀式はブサキ寺院を中心に、バリ島全土で行われ、県ごと、群ごと、村ごと、バンジャールごと、そして最小単位である家々で「ムチャル」の儀式を行うものです。

また、この日は「闘鶏」が行われます。インドネシア政府は1981年4月にあらゆる賭け事を禁止し、闘鶏もそのときに禁止されたのですが、宗教儀礼と関連した闘鶏は政府公認なのです。とはいっても、根っからのギャンブラーである多くのバリ人の男達は、やはり「闘鶏」で「賭け」をします(儀式としての闘鶏は金銭の賭けは禁止)。

以前、ムチャルについてご紹介しましたが、ニュピ前日には来るべき新年にそなえ、徹底的に浄化の儀式を行います。ブタ・カラとは、よく「悪霊」と訳されます。「カラ」というのは暗黒の神で、シワの破壊的形態であり、魔性に変わりうる存在です。カラは大地の真中に住み、いつも飢えています。ものを破壊し、犠牲を強いることを常とする神で、人々は常にこの存在を意識して暮らしています。この神に定期的にお供えをし、犠牲祭を行うのは、カラ神をなだめるばかりか、その破壊力を人々の守護の力に向けるためなのです。
プスパの住むバンジャールでも、3月25日のプングルップカンの日は、朝から家でお供え物をし(この日は新月でもあります)、夕方、まだ日の高い3時過ぎくらいから、村の四辻(十字路)、丁度バレ・バンジャール(集会場)のあるところで、タウール・クサンゴ、ムチャルの儀式が行われました。
何日か前から、お寺で共同作業で準備してきたタウール・クサンゴのお供え物、各家庭から供えられたお供え物で、四辻の路上は一杯です。
村の祭司であるプマンクと、その妻達が、何種類もの聖水で、儀式を進めていきます。その間、クルクルがずっと打ち鳴らされ、竹の筒を火であぶって爆発させます。
ニュピの何日か前から、一日中、朝から夜まで、ドーン・・ドーン・・という低い爆発音が絶えず鳴り響いており、例年のようにオゴホゴが開催される時は、夕方から真夜中12時まで、それこそあちこちで爆竹が鳴らされるのです。若者達は、ここぞとばかりに面白がって、道行くバイクや車に向かって爆竹を投げてくるので、ニュピ前夜に外出すると、ちょっとどきどきします。一連の儀式が終ると、集まった村人全員で、地面に座ったまま祈りをささげます。そして、ここで、聖水を戴いて、家に持ち帰り、そのまま家での儀式にとりかかります。
すでに家の前には、この前のガルンガンに作られたペンジョールと、サンガ・アルタ・チャンドラが立っていますが、ニュピのために、もうひとつ小さなサンガ・チュチュが立てられ、そこにも定められたお供え物をします。
家中を、先ほど戴いたティルタ(聖水)で清めてまわったあと、地面の悪霊へのお供え物をします。
そのあと、家族の、「歯の生え変わっていない人間を除き」、つまりは大人だけですが、「ナタッブ」という、簡単に言うと、人間に対するお供えの儀式があります。

さて、いよいよ本日のメイン・イベント!?の始まりです。


火を持って、家寺の祠から家中のあらゆる建物を清めて周るのですが、その際に、おもにその家の子供達が中心となって、あらゆる音の出るものを叩きながら一緒に周るのです。この時間帯は、あちこちの家々から、鍋の蓋や、太鼓や、アルミ缶などを、ガンガン、ドンドンとにぎやかに打ち鳴らす音が聞こえてきます。これは、激しい音で悪霊を追い散らし、神聖なる火(熱)で、すべてのものを浄化する、という、分かりやすい象徴的儀式だと思いますが、本来、ヒンドゥー教の教えには、悪霊を追い払う、という考えはありません。先ほども述べましたが、ねんごろに祀ることによって、ネガティブをポジティブに、破壊の力を守護の力へと転換させるのです。なぜなら、シワとカラが創造と破壊の表裏一体であるように、悪霊も本来の姿である神へと転換させることが、教えの真髄だからです。
だから、このニュピ前日の騒々しさは、一説によると、翌日の静寂をより際立たせるため、あるいは外出できない翌日のニュピの前に、バカ騒ぎをする、というような意味合いになってきているのだとか。なににせよ、普段は「静かにしなさい!!」と怒られてばかりの子供達(大人も!?)、ここぞとばかりにガンガン音を鳴らしまくって、すっきりした表情です。なんだか、「鬼は外~!!」の節分の豆撒きみたいですね。
ニュピの前夜、9時ごろに地元のスーパーマーケットに買い物に行ったら、買い物客でごったがえしていました。ニュピは、観光客も例外なく外出禁止なので、外国人観光客の姿も多く見られます。それにしても、明日一日だけのことなのに、皆、すごい量の買い物です。ニュピは一日中、火が使えないので、料理も出来ません(一応、建前上は・・・)。大抵は前日に作りおきしておきますが、スーパーの買い物客は、大量のお菓子や飲み物、インスタント食品などを買い込んでいました・・・レジには黒山の人だかり。毎年のことですが、ニュピに備えての買い物は、早めに済ませた方がいいですね。

さて、翌日はいよいよニュピ。本来は、「プアサ」と言って、絶食して瞑想して過ごすのが正しいニュピなのですが、家の中ではみな、普通にご飯を(作って)食べ、することがないのでテレビもつけっぱなし。一応、大きな音を立てない、という原則なので、テレビも音量を絞ってはいますが、小さい子供が居ると、「音を立てない」訳にはいかず、絶食なんて出来るもんじゃありませんよね。しかし、普段は何かとうるさく騒ぐ近所の子供達も、この日は一体どうしてるの?というくらい、大人しい。学校もお休みなのに。いつもうるさい隣近所も、今日は物音一つ聞えません。こんなに静かに出来るのなら、普段からそうしててよ!とちょっと思ったプスパです。一応、外出は禁止で、大通りでは村のプチャラン(警備役の男性)や、警察官が見回りをしていますが、細い路地や、裏道を通って、子供達は結構行き来して遊んでいるようです。親戚のおっちゃんがひょっこり遊びに来た事もありました。

この日は先にも述べましたが、火を使ってはいけないので、基本的に料理もお線香を使うお供え物もしないのですが、今回は・・・・。そうです、ニュピの翌日はもうプナンパン・クニンガン。その次の日はクニンガン。なので、お供え物の準備をしまくりました。前日のプングルップカンの日も、家でムチャルをしながら、サテを作ってました。そうしないと間に合わないから、多分、どこの家でもそうだったんじゃないでしょうか。
全然、ニュピらしくなかった一日でしたが、それでも夕方からはなるべく光が外にもれないように外の電気はつけず、部屋の明かりも出来るだけ控えめにして、みな早々に眠ってしまいます。プスパも早々に眠ってしまいたかったのですが、ここのところ、長い学校の休み(二週間も!)ですっかり生活のリズムが狂った子供達が、遅くまで寝ないので、真っ暗な中、部屋の外に出てみました。どこの家も真っ暗です。自分の鼻先も見えないくらいの、漆黒の闇。結局、台所に飲み物を取りに行くのにも、全然ものが見えなくて、テラスの電気をつけなきゃならない始末でした。いやあ、あんな真っ暗体験は、昨今、あまりないですよね。特に不夜城のような日本に住んでいる方には、新鮮なんじゃないでしょうか。

バリ島に通いだした12、3年前は、しょっちゅう停電したし、蛍光灯も普及していなかったので、夜はよく、こんな真っ暗な体験したなぁ、と、ふと思い出しました。それを思うと、今のバリは、明るくなりました。ニュピの夜は一年で一番暗い、とは知っていましたが、この夜はそれを実感しました。

でも。星空は凄かった!周りの地上は真っ黒・真っ暗なのに、頭上の天空は、天の川がはっきり見え、それはほんとうに、こぼれるような星々が見れました。こんなに星が見えるんだ、と、しばし呆然と空を見上げて、首が痛くなったほどです。

こうして、満点の星のもと、ニュピの一日は締めくくられました。
ニュピは外出禁止だし、外国人観光客にはタイクツだから・・・と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、本当にこんなスピリチュアルな体験が出来る場所、機会は、今時、あまり無いと思います。丸一日ひたすら自己内省を行い、大自然と宇宙と自分を融合させる日、それがニュピなのです。

以上、プスパでした。
関連タグ:ヒンドゥー教供え物祈り新年ニュピ

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2009-05-06

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