THE NGAYAH~ザ・ガヤ~

お寺で行われる、バリ島特有の共同奉仕作業の現場をプスパがレポートします!

今日は、プスパです。今回は、ちょっとレアな事柄、観光客にはうかがい知ることの出来ない、バリのバンジャール(集落)の「共同作業」についてご紹介しちゃいましょう!バリ島に、長期で滞在されたことのある皆さんなら、「NGAYAH」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。日本語でいうと、奉仕活動、という意味になるでしょうか。主にお寺や王宮で、宗教儀礼などのために無償で奉仕作業をすることを指します。日本語での発音表記は、ちょっと難しいのですが、無理やり表記するとしたら、「ンガヤー」と、あたまに小さい「ん」がつくかなー?
インドネシアでは「ゴトン・ロヨン」といって、「相互扶助」の精神が、国の綱領にもあげられているくらい、お互いに助け合って暮らしていく、ということが人としての前提となっています。バリ島に旅行に来られたことのある方なら、「バリの人って、みんな親切―!」という印象を持たれたのではないでしょうか?道端で立ち往生していたりすると、必ず誰かが立ち止まって助けてくれようとします。バイクや自転車や車のタイヤがパンクしたり、転倒したり、なにかトラブルがあったときも、いちはやく人々が集まってきて、なにくれとなくお世話をしてくれます。とにかく、何か事があったら、そして、自分がそのことの手助けになりそうなら、人々はためらわず行動を起こします。

こういったことは、もちろん学校教育だけでは身につかないことです。バリ人たちが生れ落ちた時から、家庭で、隣り近所の付き合いの中で、村で、育ちながら自然と学ぶ「助け合うこと」。稲作・農作業を中心としてきたバリ島、もしくはインドネシアでは、実際、人々の協力無しでは生活がたちゆかなかったということもあるでしょうし、そこに、宗教という確固とした核があり、今日現在まで、その相互扶助・共同奉仕という精神が強固に受け継がれてきたのだと思います。
バリ島では、子供はまず、共同体の大事なメンバー予備軍として、大切に育てられます。大きくなってきたら、両親からそれぞれ基本的な重要な事柄を徐々に学んでいきます。女の子はおもにお供え物関係のこと、男の子は神事の流れや、そこで男性がどういう仕事をしていくのか、ということなど、日々の生活の中で、ちょっとずつ学んでいくのですね。
年頃になって結婚したら、初めて「バンジャール」という集落・共同体の、正式なメンバーになります。結婚してメンバーになると、いろいろな責任が生じてきます。自分たちで、自分たちの共同体を運営していくのです。バンジャールは行政面での役割はありませんが、人々の生活にとっては、国の政策などよりも、もっと密接で重要な機構なのです。

プスパも、プスパの旦那さんも、結婚と同時に、めでたくバンジャールの「成員」となりました。これは、自動的にそうなっちゃうので、拒否権はありません(笑)!そのときから、自分達は、バンジャールの「補助」が受けられる立場になり、逆にバンジャールのために共同作業につく「責任」も負うわけです。
たとえば、バリでは「冠婚葬祭」は家庭で、もしくは集落の中で行われます。日本のように費用だけ出して、あとは専門のスタッフが準備してくれる訳ではないのです。必要な備品、食べ物、什器、そしてもちろんお供え物、会場となる簡易建物、すべて自分たちで作り、用意し、賄うのですから、もちろん独力ではできませんよね。そういう時に、この「バンジャール」の出番なのです。みな、とうぜん無償で、助け合います。うちから死者が出て、バンジャールの助けで無事埋葬できた、結婚式の時もバンジャールの助けで、滞りなく式を終えれた、等々、全ての人が平等にバンジャールのお世話になっていますから、みな、面倒だなんて言ってられません。結局、いつかは自分も必ず世話になるのですから・・・。ましてや、お寺での宗教儀礼ともなると、すべての住民に等しく関係のある大切な行事です。
共同奉仕作業、NGAYAHは、まず、「なにをおいても優先すべきこと」ですが、現実問題、仕事がある人や病気の人、身内に死者が出た人などは毎回NGAYAHに参加できないこともあります。お寺でのNGAYAHでは、身内に死者が出た場合、自身が病気中、女性の生理中などの場合は、免除になります。それ以外の理由で参加できないときは、誰か代理人をたてるか、それも居ない場合は、罰金を払う仕組みになっています。NGAYAHは「一家に一人」が出るので、別に誰が行ってもいいのですが、あまりにずっと顔を出さないと、評判が悪いようです。プスパは、結婚する前、このNGAYAHについての話を聞いたとき、これに参加しないと村八分にされて、村に住めなくなる、とか、ずっと参加しなかったある家が、火をつけられて焼き討ちにあった、とか、コワーイ話を一杯ききました!プスパの旦那さんは一人息子なので、一体、この人と結婚するとどうなるんだろう!と思ったことも覚えています。結局、結婚してしまったわけなのですが・・・。
外国人がバリ島に住む場合でも、その家・土地のあるバンジャールにカウントされます。しかし、中々NGAYAHに参加する外国人は少なく、そういう場合は「バンジャール・イスティメワ」といって、お金を払ってNGAYAH免除、という措置もあるようです。プスパのような外国人嫁も、もちろんこの共同奉仕作業の義務は負うわけですが、実際問題、なかなかキツイものがあります、正直なところ。まず結婚したてのころはバリ語もほとんど分からないし(このような村の中では、ほとんどバリ語しか使われません)、村の仕組みも、何をすればいいのかも、まったく知らないわけです。バリ人の女の子なら、小学生でも出来ることが、自分にはできない。その精神的葛藤が、一番辛かったなぁ・・・・(回想中)。はずせない用事があったり、仕事が立て込んだりすると、ううう~、NGAYAHなんか行ってる時間無いわ!!と思ってしまったり。
と、まあ、外国人嫁にとっては関門、観光客にとっては、まず目にすることの無い、禁断の(!?)NGAYAHの世界をお見せしましょう(笑)!

今回は、お寺でのオダラン(祭礼)のための、NGAYAHをご紹介しましょう。お寺でオダランがある場合、家寺のお祭りとは全然規模の違うお供え物が必要になります。その膨大なお供え物を作ったり、祭礼の準備をしたりするために、何日か前から、村中で準備が始まります。これは、お寺の裏側のジャボ(境内の外)と呼ばれる場所で作業をします。
このNGAYAHを取り仕切る、村の村長さんに当たる人々をご紹介しましょう。まず、宗教儀礼、供物関係をつかさどる、ブンデサ。そして、NGAYAHの作業を仕切るリーダーである、クリアン・アダット。そして、いわゆる行政上の村長である、クリアン・ディナス。この三人が、その時の祭礼の規模などによって、必要な人員、日数、などを差配します。
3月の怒涛の忙しさ、ガルンガンニュピクニンガン3連発が終ったと思ったら、総選挙(これも集落単位で投票が行われますから、バンジャールの役員達は忙しいのです)があり、それが終ったら今度は村のプラ・ダラムで、例年より規模の大きなオダランが。結局、4月に入ってから、毎日NGAYAHがありました。
NGAYAHは、大体、朝は8時から12時ごろまで、昼は1時から5時ごろまでです。男性のNGAYAHの場合は、朝はもっと早くに、「クルクル」という合図の竹の半鐘が鳴らされます。この「クルクル」の音を聞いてから、出かけるのですが、宗教儀礼でお寺に行くので、必ず沐浴をすませ、正装(女性は、クバヤという上着、カインという腰布、アンタンという帯。男性はカインにサプッというもう一枚の腰布、アンタン、そしてウダンという頭に巻く布)します。そして、女性はお供え物作りのためのナイフ、男性は竹を切ったり、ココナッツを割ったりするのに使う、ブラカスと呼ばれる、大きな包丁のような刃物を持って出かけます。お寺では、すでに人々が作業を始めています。プスパも空いている所に腰を落ち着け、作業に入ります。
お寺での作業は女性の場合、ほとんどがお供え物作りです。どんなお供え物がいくつ必要なのか、ということを仕切る「トゥカン・バンタン」の指示に従って、これこれを300個、とか、なになにを200個とか、ひたすら作るのです。
プスパは、ナイフで椰子の葉を切るのが得意でないので、誰かに大量に切ってもらってからひたすらチクチク「縫って」います。もしくは、出来上がったものを順番にセットしていく作業にまわったり、自分にもできることをやります。とにかく、ここでまごまごしていても始まりません。なにかやることをみつけて、手を動かすのです。やっている作業は単純作業なので、何個か練習すれば、誰でもすぐ出来るようになります。そして、このNGAYAHの場で、年少のものは年長のものから、「やり方」を学ぶのです。どうやって作るのか、これはなんという名前か、ちょっと凝った作りにするにはどうすればよいか。家以外の場で、新しいお供え物について学ぶ機会は、これ以外に無く、教えてもらいだすと結構これが意地になって、みんな一人で出来るようになるまで何回も年老いたイブ(お母さん、婦人)にせがんで教えてもらいます。
プスパは、結婚した当初、NGAYAHに行って、と言われるたびに、「なんでもかんでも、完璧に出来ないとだめなんだ、出来ないと足手まといになるんだ」とガチガチになっていて、誰かに聞くにはどうしたらいいんだろう、知り合いもいないし、言葉もわからないし・・・と、自分ひとりで悲観的になって、NGAYAHを否定的に受け止めていました。でも、実際に参加していくうちに、全然そんな嫌なものじゃない、ということが分かってきました。

まず、イブイブ(ご婦人がた)は、出来そうにないことはやらせませんし、出来そうな仕事をどんどんまわしてくれます。単純作業はいくらでもあるのです。最初こそ珍しがっていろいろ聞かれますが、それはバリ人同士でもおなじこと。よその村から嫁いできたバリ人の女性もたくさんいて、バンジャールによってお供え物の作り方も全然違うし、若い子などは、お供え物など全然作れない!という子も居たりで、最初はみんなちょっと慣れないながらも、先輩のイブたちに教えてもらいながらゆっくり慣れていくのです。

最初の頃、プスパのまごついた様子を見かねて、よく他の奥さん方が「バリ人の私でさえ、出来ないものがいっぱいあるんだから。最初はみんな何も出来ないものよ~!ちょっとずつ練習したらすぐに出来るようになるよ。出来なくても大丈夫、ここにこうやって来ることが大事なんだからね!」と声をかけてくれたことを思い出します。
バリ語が理解できるようになるまでちょっと時間がかかりましたが、言葉があまり分からなくても毎回顔を合わせているうちに、皆と顔見知りになり、インドネシア語で話し掛けてくれる人もいたりで、随分と楽になりました。そのうちに言葉もすこしづつ覚え始め(なんせ、プスパの姑はバリ語しか話せません)、椰子の葉で色々複雑なものを作り上げていくことに興味を覚え初めて、今ではNGAYAHは全然苦痛なものではなくなりました。

さて、話を戻しましょう。お寺に集まってしばらくすると、甘~い「バリ・コピ」(コーヒー)、もしくは「テ」(紅茶)が出てきます。時々、これに甘いお菓子がつくこともあります。
お寺にはプランタナンと呼ばれるお台所があり、ここでも当番制のNGAYAHがあります。お台所の作業は、NGAYAHに来る人たちにコーヒーを作って出したり、お供え物に使うお菓子を油で揚げたり、お米を蒸したり、オダラン本番では、招聘した高僧や招待客にコーヒー・お菓子・食べ物を出したり、というもので、これは中々重労働です。
余談ですが、なぜかバリではお客様にお茶を出すときは、若くて(出来れば)きれいな女性が出すべきだとされているようで(笑)、家でもお寺でも、お茶だしの時は比較的若くてきれい目のご婦人方が呼ばれます。
さて、コピを飲みながらおしゃべりしながら、それでも女性達の手は休まず動いています。指示されたものを作り続けるもの、ジェロ・マンクー(お坊さん、その奥さんのこと)の指示に従って作業台でお供え物を次々セッティングしていくもの、足らない材料を調達にいくもの。
今日は「お菓子作り」の日ですね~。このお菓子は、米紛に着色したものを練って、手で形を作っていくもので、お供え物に使われます。プスパはこれが苦手で、中々うまく出来ないのです。それでもまあ、粘土をこねる要領で・・・年長のお母さん方の指示の元、「吊り下げもの」と呼ばれるお菓子作りに挑戦。
出来上がりは・・・・プスパの作ったものが妙にデカイ!!どうしても小さくまとまらずに、こんなデカデカの作品になってしまいました。それでもみな「上手上手!充分よ~」となかなか褒め上手なので、ついつい調子に乗って何個も作ってしまいます。
男性陣は竹を切って何かを組み立てたり、ココナッツの皮を剥いたり、重いものを運んだりする力仕事など。そういう男性の仕事がなにもなく、奥さんの代わりで来ている場合などは、女性と同じようにお供え物をチクチク作ったり。
女性が大勢集まると、噂話が飛び交うのは、どこの国でも同じこと。特に、バリの村のように血縁関係が濃いところは、なおさら色んな細かい話が飛び交います。実際のところ、昔は同じ村の中での婚姻がほとんどだったので、村中みなが親戚、といってもいいくらいなんです。そういう細かい話には、言葉がわからないふりをして、聞き耳だけ立てているプスパです。

NGAYAHに来ているイブイブ(おばちゃんたち)をウォッチングしていると、中々おもしろいものがあります。出来るだけ動かないでおこう、と、人にあれこれ頼む人、まめに立って動く人。みんなそれぞれのペースで、手だけは休めないで作業を続けています。プスパも近所の人や親戚のおばちゃん達と家族の近況や、日本の宗教行事や、そんな世間話をしながら、疲れすぎない程度に(!?)NGAYAHに参加するのです。
一日の予定の分量の作業が終ると、クリアン・アダットが作業の終了と、今後の予定を述べ、出欠を取ります。バンジャールの各戸を記した帳面があり、それで出欠をとっていくのです。
プスパは最初、どきどきしながら、名前を呼ばれたらなんと返事しよう、と迷っていました。バリ人じゃないし、みんなのようにバリ語で言うのも恥ずかしいなぁ、と思って、名前を呼ばれた時に「サヤ~(インドネシア語で私)」と言ったら、周りのみんなに大笑いされ、「も~みんな知ってるんだから、マイ~ッ!(バリ語で来てる、という意味)って言ったらいいのよォ!言ってみ、マイ~ッ!って!恥ずかしい?」と言われ、今では大声で「マイ~~~ッ!」と返事しています。ま、それはそれでまた、笑われるんですが。
さて、こういう地道な奉仕作業があって、はじめてバリ島の、あの祭礼が遂行できるのです。通常の、210日ごとにめぐってくるオダランのNGAYAHは、大体一週間くらいなのですが、大きいオダラン(3年、5年、10年、30年周期や、50年周期や、100年周期でめぐってくる祭礼)になると、準備のNGAYAH期間が1ヶ月、半年、などと長期にわたります。そのような日数と、人々の奉仕作業に支えられて、バリ島の儀礼・祭礼は行われるのです。
ほんとに、「よくやるよなあ」と毎回感心してしまいます。でも、儀礼・祭礼こそがバリ人としての生活に密接にかかわりがある以上、この「NGAYAH」こそがバリ人の生活なのだ、とも言えるでしょう。

プスパは、一日のうち、午前中と午後を、旦那さんと二人で交代でNGAYAHに行っています。いつなんどき、行けないことがあるかも分からないので、行ける時に出来るだけ行っておきたいと思っています。行けば必ず、みなが笑顔で迎えてくれます。「よく来たねぇ、えらいねぇ!」と。もちろん、プスパが外国人なので、みな気を使ってくれているのです。「もう、バリ人と一緒だね!」と言われながらも、やはり「同じ」ではあり得ない。外国人だから、という点で、おおめに見てくれていることも事実です。でも、それに甘えてしまうことなく、できるだけ皆と同じ義務を果たすこと、それがここで暮らしていく、ひとつの鍵かな、とプスパ自身は思うのです。

以上、プスパでした。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2009-06-22

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