バリの家

ひとつの家寺とひとつの台所を共有するバリ式の家。どうしてバリ人の家って、どこも同じような造りなの!?その理由、決まりごとと特徴をご紹介!

こんにちは、プスパです。唐突ですが、皆さんは、すでに結婚していらっしゃいますか?

今の日本の都市部では、結婚したら両親の家を出て、それぞれに家庭を持つ、というのが一般的になりつつあるようですね。土地柄、まだまだ3世代にわたって一緒に暮らしているところもあるとは思いますが、結婚したての若い世代は、両親との同居を嫌がり、別に所帯を持つことが多いようです。

ここ、バリ島は、昔も、そして今も、男子は結婚しても家を出ず、他の兄弟と家・土地を分割して相続していきます。
そのため、男子ばかりが多く生れる家だと、敷地内はもう一杯!ということもめずらしくありません。なぜなら、近年、新婚の夫婦は、敷地内に独立して部屋を持つのが主流になってきたからです。そのため、昔は共有していた部分に、建物が一杯いっぱいに建てこむ事になってきました。

そんなバリの一般家庭、訪れたことのある方なら、「あれ?なんだか似たような造りの家が多いなあ」と思われた方も居るでしょう。そう、バリ島の伝統建築というのは、バリに伝わる古文書、ロンタル文書に基づいています。決まった位置に門が有り、家寺があり、台所やその他の建物が建てられているのです。それでは、入り口から順に、バリの伝統的な家の様子を見ていきましょう!
なお、この情報は、バリのスードラ層の一般家庭に嫁いだプスパの家を基準としていますので、地域やカーストによって、呼称等に違いが見られることもありますが、ご了承ください!
まず、門。アンクル・アンクルと呼ばれるバリの家の入り口の多くは、日本人の感覚からすると、比較的狭く感じられます。バイクが一台、ぎりぎり通れるかな、といった程度の広さです。この門の両脇に、小さなサンガ、アピット・ラワンを供えているところも多く見られます。
門を入るとすぐに、まるで来訪者の行く手を阻むように、衝立のようなものが立っています。これは、アリン・アリンと呼ばれるもので、内側が丸見えになるのをさえぎり、悪霊が入るのを防ぐためのものだそうです。ウブドの王宮の立派な門の向こうにあるアリン・アリンには、見るも恐ろしげなランダの彫刻が施されており、お客さんもびっくりのウェルカムですよね。
プスパの家のアリンアリン。

プスパの家のアリンアリン。

ウブド王宮のアリンアリン。

ウブド王宮のアリンアリン。

プスパの家では、このアリン・アリンの両脇に、アピット・ラワンという祠が備えられています。アピット・ラワンの横を通って、敷地内へと進みましょう。敷地に入ってすぐ右手に、サンガ、もしくはムラジャンと呼ばれる家寺があります。プスパの家は、門が東に面しているので、敷地に入ってすぐにサンガがあるわけです。

家寺は、家の中で一番重要な場所で、必ず北東の位置に配置されています。プスパの家から見て、グヌン・アグン(アグン山・バリヒンドゥー教の聖なる山)は北東にあるので、家寺も敷地の中の北東の位置にあるわけです。
ここで、少し、バリ島の「方位」についてお話しましょう。

バリ島の北東部には、グヌン・アグン(アグン山・海抜3142メートル)という、古くからバリ島民の信仰の対象となってきた火山があります。この、聖なる山に対して、穢れた存在・魔性の住みかとしての海があり、聖なる山「山の方角」カジョー、穢れの海「海の方角」クロッドという、バリ島独特の方位観を生み出しました。ところが、アグン山と、その隣にあるバトゥール山(活火山・1750メートル)の境目辺りから、東西に山脈が走っており、山脈の北側と南側とでは、方向が逆転します。う~ん、ややこしくて頭がこんがらがりますが、お手元にバリ島の簡単な地図があれば、一目瞭然!
つまり、島の南側(つまりウブドや、デンパサール、サヌールからヌサ・ドゥアなどの南側半分)では、カジョー(山の方角)は「北」、クロッド(海の方角)は「南」、となり、反対に島の北側(カランアッサムの北側やシンガラジャ、ブレレンなど)ではカジョー(山の方角)は「南」、クロッド(海の方角)は「北」となるのです。

ですので、家屋敷の一番重要な部分、人体で言うと頭に当たる、家寺の位置も、バリ島南部では北東に配置され、バリ島北部では南東に配置されるのです。位置がひっくりかえるのですね!「地図」というものが出来て以来、私達には「南北東西」という概念がしみついていますが、ここ、バリ島では「東西南北」よりも「カジョー、クロッド」なのです。バリ島民の生活は、全てがこのアグン山を中心とした「山側」「海側」、カジョー・クロッド、北東・南西という対比で営まれています。村の寺院の配置、屋敷の構造、寝るときの向き、上座・下座などの座る位置・・・・。

それでは、そのバリ島独特の方角観が、家の敷地内にどういかされているか、順番に見てみましょう。

バレ・ダジョーとサンガの間に、お供え物関連の場所が。

バレ・ダジョーとサンガの間に、お供え物関連の場所が。

さきほど、サンガ(家寺)の横を通って、家屋の方へと進みます。すると、中庭があり、その庭をぐるりと囲むように、北側に「バレ・ダジョー」という建物があります。これはその名のとおり、「カジョー」側にある建物のことで、主人夫婦の寝室、貴重な家財のしまい場所になっています。プスパの家のバレ・ダジョーには、御父さん・御母さんの寝室と、お供え物を保管しておく部屋があります。

バリの伝統的な決まりでは、このバレ・ダジョーには窓が無く、完全に壁で囲われた建物です。唯一プライバシーが保てる、密室になるので、まさに夫婦の寝所・家財を仕舞いこむ金庫代わりになるのですね。うちの場合は、小さな飾り窓がついていますが、外からは何も見えないはめ殺しの黒いガラスが入っています。

次に西側の建物「バレ・ダウ」。バリ語でカジョー・クロッドは「山側」「海側」をいうことをさきほどお伝えしましたが、これは、プスパの住むウブドでは「北」「南」にあたります。そして、「東」「西」にあたるバリ語は「カンギン」「カウ」です。バレ・ダウとは、その名のとおり、西の建物のことで、家族の寝所、若い夫婦の寝室など。プスパも、このバレ・ダウの3部屋に親子4人と、未婚の叔母の、計5人で住んでいます。
次に、屋根と柱だけで壁の無い、「バレ・ダンギン」という建物があります。名前のとおり、東の建物。この建物は、赤ん坊の誕生後のウパチャラ(儀礼)、削歯儀礼(ウパチャラ・ポトン・ギギ)などの、家族の成長儀礼や、家族の死後、遺体を一時安置するのに使われます。儀式のないときは、備え付けのベッドで昼寝したり、子供達が遊んだり、絵を描いたり彫り物をしたりといった、作業場にもなります。
そして、パオンと呼ばれる台所棟。台所は南側に配置されます。これは、火の神=カマドの神であるブラフマの方位が南ということに由来しているのでしょう。また、入り口・門は、必ず台所に近いところに配置されるようです。ですので、正確に言うと入り口から敷地に入ってきて、まず目にするのは各家の台所の建物かもしれません。
バリの家バリの家 バリの家バリの家 昔ながらのカマドのついた台所もあります。

昔ながらのカマドのついた台所もあります。


プスパの家では、外から帰ってきた人や、この家を訪れる人は、まず台所の敷石を踏むように言われます。本当は一度台所に入るのがよいそうなのですが、ともかく、必ず台所に一度寄ってから家の中へ入らなければなりません。これは、外から来る者は、時として良くないもの、悪霊や病魔などを引き連れて来るので、台所でそれらを「落として」から家に入る、ということなのだそうです。外から戻り、台所に入ってそのまま手と口をゆすぐ、という、衛生上の観点からもこれは正しいといえますし、また悪人や泥棒が侵入してきたときは、台所の守護神であるブラフマが、たちどころにその火で焼いてしまうように、という、神話めいた迷信が残っているのかもしれません。特に、家に生れたばかりの赤ん坊や、病気などで体の弱っている人、老人などが居る場合には、必ずこの言いつけは守られます。プスパも、よそのお宅に行く時は、出来るだけその家のお台所の敷石を踏むようにしています。

最も不浄な南西の位置には、トイレやゴミ捨て場や、ブタなどの家畜の飼育所があります。
プスパの家にはもうひとつ、バリの家を特徴付ける建物があります。それは、米倉。プスパの家ではクルンプと呼んでいますが、もっと規模の大きいもの、倉の下の部分に台座がついているようなものは「ジナン」と呼ばれるそうです。クルンプは入り口、台所の近くにあり、田んぼから収穫してきた米をすぐに運び込めるように配置されています。
バリ島の家の構造を人体に例えると、家寺=頭、寝室や応接室=腕、中庭=へそ、入り口(門)=性器、台所と米倉=足、ゴミ捨て場やトイレ=肛門、ということになるそうです。おもしろいですよね。

次に、トゥングン・カランという社を見てみましょう。このトゥングン・カランは、バリ・ヒンドゥー教徒の誰もがその屋敷の一角に建てるものであって、どんなにお金の余裕が無くても、バリ人である限り、この小さな社を確保しようとします。赤レンガであれ、ブロックであれ、または出来合いのものであれ、さらには木片を四隅に建てて、竹で編んだお供え置きを載せただけのものでもよいのです。このトゥングン・カランの役目は、その屋敷の中にいる者の安寧を、外の邪悪な力から守ることにあるそうで、「屋敷の番をするもの」という意味があるそうです。

さて、プスパの家は、2世帯ですので、ここまでで家は終り。敷地残り半分は、家庭菜園という名の、雑木林です。コーヒー、ナンカ(ジャックフルーツ)、バナナ、椰子、ドゥリアン、パイナップル、パパイア、マンゴー、アボガド、ニガウリ、レモン、などの木や植物が、特に植えたわけでもないのに生い茂っています。敷地の奥に、生ゴミなどを捨てていたのが、そのまま生えてきたりして、このような状態になったのでは・・・と思われます。
敷地の一番奥、西側は川になっており、そこにもウルン・パンクンという、川や沼に住む精霊・地霊のための小さな祠があります。
日本とは随分違う家の造り、そして、何世帯もが共同で暮らすバリの家。家寺を守り、継承していくのが第一目的です。

先ほども説明しましたが、カジョー、クロッド、カンギン、カウという、バリ独特の方位が、生活の基盤になっています。日本人であり、しかも相当に方向音痴なプスパには、最初、この方向感覚に慣れるのが大変でした。東西南北で言われても分からないのに、カジョー、クロッドって・・・。

そういえば、バリでは、方向音痴のことを、カンギン・カウを知らない(東西を知らない)という風に言います。
今でこそ、ようやくカンギン・カウの言い方に慣れ、アグン山が見えなくとも、バリ島内ならどこへ行っても、方角を知ることが出来るようになりました。なぜなら、各家や建物に必ずある、サンガやムラジャンの位置を見れば分かるからです。まあ、そうなるまでに8年もかかったプスパは、特別ひどい方向音痴なのですが・・・。

皆さんも、この方位のことを頭に入れておきますと、バリ島内での移動が、ちょっと楽になるかも!?です。「風水」がふんだんに取り入れられたバリ島の家の敷地内の構造、いかがでしたか?それぞれに意味と目的があって、なかなか興味深いものがありますよね。

みなさんも是非、バリ人のおうちに行く時は、最初に台所の敷石を踏んでから、お友達を訪ねてみてください(笑)!
以上、プスパでした。

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記事登録日:2009-08-28

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