バリ島の満月と新月

月に2度の特別なお祈り!

こんにちは、プスパです。
バリ島に、旅行者としてリピートして訪れていたころ、どんなにバリ島に行きたくても、そこは社会人、仕事の予定や人生の予定、色んなことでなかなか渡航も出来ず、バリ・シックが発病してせつなくバリ島のことを思っていた時期がありました。真冬の寒風吹きすさぶ中、どんなに南国バリのことを考えようとしても、ちょっと無理・・・。

しかし、そんなときでも、空を見上げて、そこに満月がかかっていたりすると、「この同じ月が、バリ島にもかかっているんだ!」と少し慰められたものです。ましてや日本とバリは時差一時間。ほぼ同じ時間帯で、バリでは今夜も大勢の人々がこの満月に祈りを捧げているんだ、と思う事で、同じ時間軸、同じ空間を共有している気分になれました。

そのころから10年以上経った今、さすがにそんなセンチメンタルな気分で満月を見上げることはなくなりました。でも、日本に居た時とは比べ物にならないくらい、15日おきにやってくる、満月と新月を意識して暮らしています。
バリ島では、満月、新月には、特別なお供え物を作り、家寺に捧げ、祈ります。学校や職場でも、満月、新月には、朝、お祈りをするところが多いのです。公立の学校では、学生はみな、満月・新月にはバリの正装で登校し、お祈りに使う花や線香を持っていきます。日ごろはみな、同じ制服に同じ髪型ですが、この正装姿では子供達は一段と、あでやかで、カッコよく見えるんですよ!
そして、夕方から夜にかけて、それぞれの村のお寺に、お供え物を持って祈りに行きます。満月の時は、村のプラ・デサに、新月の時は、村のプラ・ダラムにそれぞれお参りします。
この満月・新月では、特に「浄化」ということが意識されるようです。15日のサイクルで死と再生を繰り返す月の姿になぞらえているのでしょうか、バリの人々も、15日サイクルで、瞑想を含めた祈りを捧げ、また実際に、神聖な湧き水の出る場所などで、沐浴して、自分自身の身体も心も清めるのです。

満月のことを、プルナマ、新月のことをティラム、と言います。普通、「新月」というと、月の最初の日、という意味があるのに、バリ語の「ティラム」というのは「月の最後」で、その翌日から新しい月が始まります。だから、本当は「新月」と訳さず、「暗月」とでも約した方がいいのですが、ここでは、分りやすいように、「新月」で統一しておきます。

さて、プスパもバリ人の嫁として、月に二回、生理などで不浄な状態にあるとき以外は、この「プルナマ、ティラム(満月、新月)」のお供え物をすることになっています。

何日か前からブスン(椰子の葉)で、お供え物の入れ物などを作り始めます。満月と新月のために用意されるお供え物は、「ポブルシアン」と呼ばれるものです。四角いお皿状のものに、5つの小皿(?)を貼り付け、真中に、スワ・プタット・カチャと呼ばれる、人の顔のようなお飾りを付けたものです。
この5つの小皿には、アサム(果物の小片、おもにミカンなど)、ジャジョー・ギノという、米菓子を焼いたもの、香油、天花粉(ベビーパウダー)、アンブッ(パンダン・ハルムを刻んだものと、ココナッツを焼いたものの小片)、という5種類のものが入れられます。
これにはそれぞれ意味があって、ジャジョー・ギノは歯磨きの道具、香油はマッサージオイル、ベビーパウダーは沐浴後の身体を爽快に保つもの、アンブッというのはつまり、「シャンプー」のことで、髪を洗うもの、ということを表しているのですね。つまり、これはマンディ(沐浴)に使われるもののシンボルなんです。真中につけられたスワ・プタット・カチャは、ギザギザの部分が櫛をあらわしており、真中の部分が鏡(手鏡)をあらわしていて、これもつまりは、沐浴後にお化粧、身づくろいをするのに使われるもののシンボルなんです。ミニ・マンディ(沐浴)・セット、といったところでしょうか(笑)?
このお供え物が、神様に捧げられるものなのか、自分自身の浄化をシンボライズしているのか、プスパには分かりませんが、とにかく、「満月」というのは、月の女神「デウィ・ラティ」を見ても分かるように、「清浄と美」ということの象徴であるようです。

この「ポブルシアン」が、満月・新月だけに作られる特徴的なお供え物ですが、他に、プラス、アジュマン、という、「食べ物」のお供え物も用意されます。これらのお供え物は、家によって違いますが。プスパの家では各37個づつ準備します。
話は少し変わりますが、もし、あなたがバリ島に来られて、バリの一般家庭にお邪魔する機会があったなら、そして、その日がお天気に恵まれていたなら、お米を色んな形(三角の円錐形や、丸い平べったい形、先のとがったオニギリ状の形)に固めたものを干している光景を、絶対に目にすると思います。円錐形のものをトゥンパン、丸い平べったいものをクロンポアン、先のとがったオニギリ状のものをプヌッと呼びます。
トゥンパンはバリ・ヒンドゥーのお供え物には欠かせないもので、一説によると、このお米の円錐形は、ヒンドゥー教の聖なる山、「メル山」つまり「須弥山」を表しているそうです。
炊いたご飯だと日持ちしないので、このトゥンパンを日ごろから作っておいて、天日に干したものを、いざ、お供え物を作るときに使うのですが、これはお米を硬めに茹でて、それをひたすら型にはめたり、にぎったりして、何十個、何百個、と作る訳です。

このように、バリでは食用とは別に、お供え物で、かなりの量のお米を消費します。もちろん、お下がりは捨ててしまわず、調理しなおして食べたり、家畜にやったりしますが、このお米を全部買っていたら、どれだけお金がかかるだろう、と、時々考えてぞぞーっとするプスパです。バリでは自前の田んぼで自給自足の家が今でも数多いのですが、この先、農家の後継者もどんどん減っていくんじゃないかな、そうしたらどうなるんだろう・・・と思います。
話を満月のお供え物、プラス、アジュマンに戻します。まず、「カチャン・カチャン」というものを準備します。これは、小さな三角形のいれものに、サウールというココナッツフレークにサンバルで味付けしたもの、豆とニンニクを揚げたもの、小魚を揚げたもの、タマゴ、などを小量づつ入れたもので、ご飯の副菜、といったところでしょうか。ここにナスビを少しづつ入れたりもします。ここに、さらに調理した鶏肉の肉片を一緒に入れます。つまり、ご飯のおかず、ですね!
これに、先ほどご紹介したナシ・トゥンパン、蒸しケーキ、果物、チャナンをセットします。ご飯におかず、デザート、という訳ですね!初めてこういうお供え物を用意するのを手伝ったとき、「おおおお、フルコースやんか!!」と妙に感動したのを覚えています。
プラスとアジュマンの違いは、トゥンパンの形とサンピアンというお供え物の形の違いです。例えば、プラスのほうには上記でご紹介したプヌッを使い、アジュマンのほうにはクロンポアンを使う、というような違いです。

お供え物の準備が終ると、敷地内37ヶ所にお供えし、それが終ると家寺でしばし祈ります。しばらくして、お供え物を今度は下げてまわり、お下がりをつまみながら片付け(これが楽しみ!)、今度は夕方、村のお寺にお供え物を持っていく準備を始め、沐浴して身を清めてから、正装し、お寺に参ります。こうやって、満月、新月の日は終ってゆくのです。
しかし、こういう、神様や、目に見えない存在に対しての「フルコースおもてなし」を月に最低でも4回(満月・新月に、地面の悪霊にお供えする日、カジャン・クリウォンが2回)はするバリ人。すごすぎると思いませんか!?しかも日本のように、仏壇や神棚、一ヶ所だけ、というのじゃなくて、敷地じゅう、40ヶ所近くも・・・・。
本来は、「清浄・美」を求めて静かに浄化に意識を集中させる日である、プルナマ・ティラム。お供え物やお寺参り、というのは、象徴的なものにすぎず、決してそれ自体が目的、となっては意味がないはずなのですが、実際問題として膨大で煩雑なお供え物にかかりっきりにならざるを得ない現実。プスパのような外国人嫁には、なかなか、真に理解して体得するのは難しい、アガマ・ヒンドゥー・バリ(バリのヒンドゥー教)なのでした。
ともあれ、こうやって、月に二回は否応無く意識せざるを得ない、満月と新月。一段落して、ほっと夜空を見上げ、そこに美しい大きな満月がかかっていたり、新月の真っ黒な夜空に、満点の星が輝いていたりするのを見ると、心の底からしみじみと、「ああ、美しいなあ、ここにこうやって住めて、本当に幸せだなあ」と感じるのも事実です。

あなたも、もしバリ島滞在中、満月か新月にあたったら、ぜひ正装して、お寺に行ってみて下さい!そして清浄な気持ちでお祈りし、なんなら、観光スポットにもなっている、タンパクシリンなどの神聖な場所で沐浴体験もし、身も心も美しくなってみてはいかがでしょうか!?

以上プスパでした。

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2009-04-03

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